今回は私が何をしてきた人なのか、
なぜカウンセラーになったのかをお話ししたいと思います。

私は東京で生まれ、その後は日本各地を転々と引っ越しました。そのため幼馴染と言えるような古くからの友人はいません。しかも一人っ子です。ひとりで楽しめる読書と映画が好きな子供でした。その時々の友人たちと多少ハメも外しましたが、基本的に内向的な性格です。
小さな子供の頃に両親の不仲や、それに伴う家庭環境の激変を経験しました。うちは教育方針や子育てのやり方が独特だったようで、自分の家で当たり前のことが、友達の家ではありえないことだったりして何かがおかしい、何かがずれているという感覚を常に感じている子でした。そのせいもあってか、小学校低学年の頃はかなり暴力的ないじめの対象になっていました。
いまだに当時を思い出したくないほど家でも学校でもつらい日々でした。毎日がきつい暴力に満ちていると、
・死ぬこと・殺すこと・逃げること・隠れること
そんなことしか考えられなくなってしまいます。狭い世界しか知らない子供に暴力からの逃げ場・隠れ場所がないというのは想像を絶する苦しみです。
このころ書いていた日記は読み返すのが辛すぎて、引っ越しの際に捨ててしまいました。
ところが小6くらいの思春期になるとまったくいじめられなくなりました。理由は成長に伴う容姿体形の変化や学校内での流行の変化など、いくつか思い当たります。その理由の中でも、特にひとり命の恩人と言えるクラスメイトがいるのですが、この子についてはまた別の機会にお話しさせてください。中高では家庭の問題、学業の問題、恋愛、それなりに苦汁を舐めるような青春でしたが、子供時代より精神的にはずいぶん楽になっていました。
この頃いろいろな本と出会います。人生を変えるような衝撃をうけた
『ライ麦畑でつかまえて』、『マルドロールの歌』、『死の家の記録』等々…。
これらの本のことも、また別の機会にお話しさせてください。
すでに心理に関心があったので、大学では心理学の単位を取ったりもしていましたが、卒業後に進んだのは文章書きとしての漫画原作者の道でした。名は伏せますが漫画家の方と一緒に作品を作り、数年かけて大手商業誌掲載まで達成しました。ただ私はストレスと経済難に限界を感じて、そこで物書きの道を断念して引退。
しばらく休養した私は心機一転、秋葉原の小さな広告代理店でWEB担当の職に就きました。
その会社の大口顧客は風俗店でした。
長くなってきたので続きはまた次回…。